雑多 2015/04/12

・早くも4月半ば

もうエイプリルフールから10日以上経ってるのか……

今年のエイプリルフールは、久しぶりにまともに楽しんだ。

毎年大抵、「去年もやったじゃんそれ」って思っちゃって、あんまりエイプリルフールネタってのをチェックする気にならないんだけど、たまーに色々覗いてみると楽しいんだよな。3年に一回くらい堪能するとちょうど良い感じだ。

しかし色々見た割には、面白かったネタがパッと出てこないという。

ウメハラが会計ソフトかなんかのサイト(すでにうろ覚え)で、普通に会社員としてデスクワークしてる みたいなのが面白かった。承認拳とか言ってはしゃぐし。

あとなんか、久しぶりにウメハラの顔を正面からしっかり見たら、目元がいやらしくて笑った。文章で説明しづらいなこれ。

結局アレかな、面白く感じたのは深夜特有の笑いのツボが緩くなる現象も手伝ったか。

しかしどこの企業もすごい手の込みようだったなぁ。まず見た時感心しちゃうもんね。よくたった一日のためにここまでやるなって。

考えてみれば、各企業にとって普段注目していないような層にもアピールできる大きなチャンスでもあるわけだし、しかもそれを「楽しさ」の中でやれてしまうんだから、活かした方が良いよな。

 

 

・悪夢を見る理由

ってなんなんだろう。

何にも自慢できることじゃないんだけど、なかなかの頻度で悪夢を見る。

半端じゃなく息が苦しくなって、自分のうめき声で目が覚めること多し。

よく映画やなんかでも「睡眠中にうなされてる人」を描くときはそんな風に表現されるけど、あれって本当だったんだと思った。

どうも良質な眠りってものに縁がないな。睡眠に関しては結構気を使っているつもりなのだが。

どうせ見るなら淫夢とかにしてほしい。あっちの汚い方じゃなくてほんとの意味でのやつ。サキュバス的なやつ。

全然関係ないけど、前に何をとち狂ったのか、自分の淫夢動画マイリスを連続再生しながら眠りについたことがあって、淫夢どころか非常に不快な夢を見た。

なんかね、安眠できるのではないかって思ったんだよね……

雑多 2015/03/18

・この一年

 前回更新が3月19日らしいので、ぎりぎりピッタリ一年ぶりだ。日記をつけるという行為や、思考をメモするってこと自体は普段からよくしていたんだけど、仕事をし始めてから頻度は極端に減ったな。(仕事関連のメモは別として)

心身ともに活動的なものとはかけ離れたレベルに落ちていきまくり。

 

なんというか、実に空虚な一年であった……

そうしたのは自分自身なのかもしれんが。

いろいろと思うところや、形に残したい考えは少なくなかった一年のはずなんだけど、なにせもうそんな余裕はなかったなぁ。

どういう生活送ってても何かしら得られるものはあると思うんだけど、やはりその得られたものを確認する行為と言うか、一旦どこかで咀嚼するくらいの余裕は欲しいなぁと思った。

まぁ、必ずしも文章化しておかなければ消えてしまうものばかりではないし、経験は自分の体に残っているはず……だと良いな。

 

・使用ツールに迷う

 ってな感じのこと書くんだったら、メモ帳で十分なのは確かなんだけど、メモ帳だと後から読みにくいんだよな~。一個のファイルにまとめて書いても、分かりにくい。なにより味気ないというのもあるし……

本当にあくまで「メモ」するだけなら良いんだけど。

 

TwitterTwitterで、やっぱり後から見返したり、探したりし難い部分はあるしなぁ。

その時々の呟きをするわけで、なんというかリアルタイム性には優れているのだが。

長い文章書こうとすると連投になっちゃうし。(だらだら書けないから、文章をまとめる力につながりそうだけど)

もっとこう、日付とかタグとかで管理できて、文字数気にせず書けて、そういうツールってやはりブログが……

……って書いてたら思い出したけど、あるやんけ……

完全にEvernoteじゃん。あれ使わなくなったな~~~

なんでだろ、大学時代は多用してたのに……スマホと同期できるし、すごい便利だった。

昔からそうだけど、使うツールが分散しすぎなんだよなぁ。

上手いこと自分の中で使い分ける基準でも設けられればスマートなのだが。

いや、それより完全に一本化してしまったほうがなお良いか。

雑多 03/18

・更新

最近ブックマークを整理していたらふとここの存在を思い出し、なんとなく更新してみようという気になった。今回のブログは、2ヶ月に一回は日記を書こうという自分目標があったのだが、余裕で無理だったなぁ。

一応、前々から使っている日記ソフトの「Osciroi」に気が向いたら日記を書いたり、忘れたくないことや考えはEvernoteにメモしたり、単純に細かいタスクは紙に書いたり、メモするという意味ではちょくちょくしているのだが。継続的に何かをするのは無理だ。

・無知です

世界で何が起きてるかもう全然分からない。なぜかと言うと単純な話で、今まで自分が情報収集を行うべく利用していたサービスを、現在一つも使っていないからである。別にそうしようと思ってそうしたわけでもなく、気づいたら得る情報量が著しく減っていた。

まずRSSリーダーは、GoogleReaderがサービス終了して、Feedlyに移行したけどどうにも馴染めなくて全く読まなくなっちゃった。2chまとめブログも見なくなったし。

そうそう、その件の、スレが転載禁止になって2chまとめブログが~という事件があったことも割と知ったの遅かったな。まとめブログも、あれはあれで最低限ではあるけど社会で何が起こってるかという断片くらいは分かったし、重要だったのかもと今になって思うなぁ。単純に読み物として面白い時もあるしね。

あとTwitterか。Twitterはこれと言った理由がないけどもう1ヶ月近く見てないなぁ。いつからか自然と見なくなってた。出先で待ち時間があるときに思い出したらちょっと見る程度か。

元々Twitterで得られる情報は、自分の中では情報の重要度としては最も低くて、情報過多で疲れるなぁと感じた時とかは自然とチェックしない状態になっていた。つまり、RSSの未読をたくさん溜まる前に読もうとしてた頃なんかは、なんだか情報を処理するのに追われている感じで、そんなふうに自分が情報を処理できてないなと感じた時は、入ってくる情報を制限するためにTwitterは見なくていいやとか考えていたものだ。

ところがRSSリーダーを使わなくなってからは全く逆で、Twitterで流れてくるまとめブログの情報とかから今何が起きてるか大体把握する状態だったんだけど、もはやそれすら行っていない。

なんだろう。単純に飽きたのかも。飽きる飽きないで捉えるようなツールでもないかもしれんけど。いつも見てたまとめブログが全然違う方向性になって、見なくてもいいやと思ったからかな。あとTwitterは見たい配信を通知する役割もあったんだけど、最近配信をそんなに熱心に見ない時期に入ったので、その通知の役割もあんまり重要じゃなくなっちゃったからか。

まぁでも、なんか気楽でいいなぁと感じるし、これらのサービスを使わなくなったことに深い意味はない。特に困ることも今のところ起きていないので、今の状態が楽に感じるならいいかなと思う。

それに自分が思ってるより、いろんな細かいところから情報を得てるんだろうなとも思う。広いネット上だと思わぬところで思わぬ知識を得たりするしね。ネットを介さない情報だと、元々新聞は読む習慣がないし、部屋にテレビもないから、メシを食うときにリビングのテレビでニュースをちら見するときとかか。あと、たまに会う友人の話からもいろんなこと分かるし。

こうなるともう……山にこもって修行してる人と同じレベルの情報量だな!仙人とかそういうアレだよ。つまり俺は仙人になったのだ。

しかし、今RSSの未読どんくらいになってるんだろう。10万とかいってそう。全部読もうとしたら10日くらいか。一日1万分読んだとして。でも半年前のニュースとか、あまりに古い情報見ても仕方がない部分もあるから、お気に入りのブログとかだけ見ていくようにすれば、案外早く消化できるかも。

雑多 12/06

その人の癖や、問題点とまでは言わないまでも、ネガティブな面を「こういうとこあるよね」と言ってしまうことが昔から多い。で、必ず「言わんかったら良かった」と後悔する。

こういうこと言うとウザがられるだろうなぁと分かってはいても、言わないでいることが中々俺には耐えられることではなくて、伝えないとモヤモヤした気持ちを抱えた状態で接することになるので、真面目に向き合いたいと思う相手であれば、できれば言ってスッキリさせたい。

言わなくてもいいやって思うような人は、もはや向き合い方として自分の中でそんなに真面目に考えてる人ではないので、「ま、いいや」で済んでしまう。

しかし、何でもかんでも言いたいこと言って自分だけスッキリして、それで関係が上手くいくかというとそれも難しくて、言われた方としては「なんやこいつ偉そうに」としか思わないことも多いのも分かっている。

ただ、自分としてはこれは上に書いた「向き合い方」の話で捉えていて、仮に自分がそのような指摘を受けた場合、「あ、この人は俺のことを真面目に向き合う相手として考えてくれてるのかな」と思うし、ウザいとは微塵も思わず、嬉しい気持ちになることのほうが多いので(友人などの場合である。上司とか仕事絡みとかでの話になってくるとまた別かもしれない)、だから自然と感じたことを言ってしまうことが多いのかも。

相手はその限りではないのは、少し考えれば分かることで、自重することを覚えたほうがいいなと、そんな感じのことを今日思いました。

 

 

フーミンかゲロシャブ

・不眠症

に悩まされておりまして。最近。

昔から、少しでも緊張することが起こるであろう日の前日や、早急に解決しなければならない悩みがあるときなどは、非常に寝付きが悪いことが多かったのだが、最近それがいよいよ酷くなってきた。

しかも最近は、次の日が普通に休みの日でも眠れない。何か緊張しているわけでもないし、理由がよく分からない。

これを書いている今も、一睡もできなくて結局眠るのを諦めて朝まで起きていた状態。地獄のように眠い。

別に眠たくないから眠れないのではなくて、ごく普通に眠たいのに寝れない。とても眠いのに眠りにつけない状態というのはマジで苦しい。こんなのここ最近毎日続いてるから拷問ですよもはや。

なんというか、目を閉じて横になれば勝手に脳が睡眠モードに移行してくれるのが普通なのだが、最近の自分の場合どうもそのスイッチがぶっ壊れているというか、眠ろうとしても脳が活動状態を維持しっぱなしで、本当に眠さが限界の限界に達して強制的に脳の電源がぶち切れるまで眠れない、という感じ。

非常に感覚的な話で分かりづらい説明だが、専門的な知識もないし理由も分からないのでこういった説明しかできない。

こんな状態では生活リズムが整った暮らしを送ることは無理な話で、最近のリズムは狂いに狂っている。

それではまずいし、そろそろ発狂しそうなので困ったなと思っていたら、母親が入眠剤をくれた。

うちの家族は姉と母親が同じように不眠症なので、処方されているものを分けてくれたのだが、そろそろ自分でも病院に行ったほうが良いんだろうなと思う。でも面倒で仕方ないため行けずにいる。

本当にこんなにひどく眠れなくなったのごく最近だからなー。

とにかく、これからは入眠剤を飲んで眠ることにしよう。起きれなくなりそうで怖いんだよな……と思うけど、言ってる場合ではない。

 

これを書き終わったところでそろそろ、今ベッドに入れば90%の確率で眠れそうな感じやでと睡魔さんが言っているのだが、困ったことに後1時間半くらいで友人が家に来る。

おそらく酒を持ってくるだろうから、飲むのは夕方くらいかな。間違いなく酒なんか入ったら途中で寝落ちしてしまうので、事情を話して今日のところはそこそこに遊び、そこそこに飲んで解散という形にしてもらおう……すでに眠すぎて変な吐き気を催しているので最悪死ぬよこれ。

 

愉快な仲間たち

どうもここに書くことって毎回毎回暗い感じというか、あんまり元気になるような明るい感じの話題があまりないなぁと見返していて思った。

別に明るいこと書かなきゃならないようなものでもないし、好きなこと書きゃいいのだが、日記らしい使い方もしたいところである。

なにか楽しいことあった日は日記に書き残しておきたいんだけどほぼ確実に忘れちゃうんだよなぁ。後から書いてもいいんだけど、そのとき感じたものやら頭に浮かんだものを新鮮なうちに残しておきたい。そのほうが後から見て、自分が何考えてたか思い出せて楽しい。

 

どちらかというと日記というより、考えの整理に使っている面が大きい。整理したいような考えって、そのときの悩みだったりすることが多くて、そうするとどうしてもネガティブな感じ(これは俺がそういう思考をしがちだからというのもある)というか、印象として暗い感じというか、そういう文章になる。

まぁ、だからなんだという話でもある。そのことに問題を感じているわけではなく、ただそうだなあと思った。

 

そしてまた、今書き残しておきたいようなことといえば、悩んでいることなのだ。

 

どうも昔から対人関係、中でも友人関係には悩まされてきたもので、どういうふうに接するのが正解なのだろうかと昔からずーっと考えている。

そんなものに正解らしい正解はないし、あったら苦労しないのだが、それでも自分の中に「こういう方向性で行く」、「こう考えればいい」という結論めいたものがなければ、友人関係の中に感じる様々な悩みに対し、自分の中で折り合いをつけることができない。

 

中学、高校、大学と、その時々で答えを出してきてはいるが、結局ことあるごとに悩んでいるということは、解決に至るような考え方はまだできていないということだ。

 

友人関係について深く考えねばならない、なにか決定的なできごとがあったわけでもないと思うのだが、昔からの悩みの種で、おそらく一生悩むことなんだろうなぁ。

いや、そこまで深刻に悩んでいることじゃないんだけど。なんというか頭の隅っこに常にある感じ。

具体的にどういうことに対して悩んでるのかと聞かれれば困るが、まぁいろいろである。

というか細かいことが多い。なので、気にしなきゃいいや~と思い込めばしばらくはどこかに行ってしまう程度のことばかりだろう。

 

一つ言えるのは、そういう諸々の悩みがある中でも、なんだかんだで付き合いが続いていると言える友人達は、本当に大切にしていかなきゃならんなと、年を追うごとに友人だった人との関係性がなくなっている自分としては、しみじみ思うのです。

最初っから完全に自分と合わないような人間とはそもそも友人になどならないもので、今友人と言える人たちは基本的には自分と合う人間なわけで、多少合わないところや好ましくないと思う部分があっても、それらより自分と合う部分のほうが基本的には多いはずなんですよ。

しかし、人間、他人を見るときは欠点に感じる部分を注視してしまいがちである。

そこにばっかり目がいってしまいがちだけど、ほんとは魅力的な部分というか、評価できる部分のほうが多いはずなんですよ。多分。

 

というふうに自分は考えているけど、相手もそう思ってくれているかは分からない。

新たに人付き合いが増えるようなこともめったにないタイプの人間なので尚更、気の合う人を見つけられたらそれは貴重なことで、大事にしていきたいと考えているのだが、そこもまた相手側はどう思ってるのかは分からん。

 

そこなんだよなぁ。人の頭が覗けたらどれだけ楽か。

 

少なくとも、たまにでも向こうから連絡取ってきてくれる人は、多少なりとも俺との関係性に関して頭にあるだろうから、まだ安心できるのだが。

ほっといたら死ぬまで連絡取ってこない気がする人たちも結構いて、そういう人たちはそれまでだったと思うしかないのだろうか。

「いつもこちらからは連絡取っているけど、向こうからはまず連絡こない」という関係の人たちは、まぁあんまり俺に用がないんだろうなぁと思ってしまうし、事実、さほど重要視されてはいないんやろなぁ。

 

書いてて思ったけどなんですかこの日記は。

女々しい!女々しいねこれは。

しかしね、友人が少ない人間にとっては、悩ましいことなのだよ。

 

雑多 10/14

今の時代、インターネッツのおかげで、面白いことをしている人を簡単に発見できるわけですが、そのように自分が面白いと思うものを追っかけていると、それで一日が終わるなぁ。

多分そのまんま一日、また一日と終わっていって、一生が終わるんだろうなと考えるこの頃である。

そうやって一生自分が面白いと思えるものを見ながら死んでいけるなら、それはそれで幸せなことなので、そのことに何か問題があるわけではない。ネットがある時代に生まれて良かったなーって感じ。

 

でも、たまーに、本当にたまーにではあるけど、自分からも何かアクションを起こしたいなと思う時もあるわけです。見てるだけじゃなくて。

つってもそんな大袈裟なものじゃなくて、ゲーム配信したいなぁとか、ちょっと面白いかもと思えるネタが浮かんだら、動画サイトにそれを投稿したいなぁとか、そんな程度のことなんだけど。

 

なんだろう、自己承認欲求を満たしたいとか、そういう話になるんだろうか。

あまりにも生産的なこととは無縁な生活を送っていて、これでいいのかなという不安感もあるし、何かしらアウトプットすることからあまりに離れすぎていると、自分の伝えたいことを表現する力が全く育っていかないので、それに対する不安感みたいなものもあったりする。

 

しかしいろいろな理由によって、実行に移せないまま日々過ごしているわけです。自分の考えの整理のために、その理由を書いていこうと思う。

 

まず、「すぐ面倒になっちゃう」っていうのがもう7~8割の理由なので、それで話が終わっちゃうとこもあるんですけども。

とにかく、面倒くさがり。ひどい。行動力がガチでない。数値で言うと2か3くらい。

どれくらい面倒くさがりかというと、もはやこの文章を書くのを放棄して眠りにつきたいほどには面倒くさがり。

なので、やろうやろうと思いつつ踏ん切りが付かないまま時間が過ぎていき、いつの間にかやる気もなくなり、どうでもよくなっているという流れを、1億と3回くらい繰り返している。

 

あと、自分の声があまり好きではないというのも結構大きな理由で、なんというか、「声を使った活動」っていうのには向いてない声質だなぁと常々思っている。

自分の声ってそんなに聞く機会ないので、最初は誰でも普段自分の耳に届いてる声と全然違うことに戸惑うものではあると思うんだけど、自分の声を聞くことに慣れて、改めて冷静に聞いていて、それでやっぱり残念な声だなぁと痛感してしまう。

いい声ってどんなものかというのは一概には言いづらいけど、

明瞭で聞き取りやすかったり、深みがあったり、ずっと聞いていられると思える声だったり、笑い声につられてしまうようなユニークさだったり、

まぁちょっと今考えてみてもパッと出てこないんですけども。

とにかく、自分の声に関しては残念だなぁと思っているわけです。

声って、ほぼ生まれ持ってのもので決定してしまうので、それはもうどうしようもないことなんで、しょうがないと思うしかない。

多少、ボイストレーニングしたり、声を出す仕事してたりで、変わってくる部分もあるとは思うが、それは「声の通りがよくなる」とかそういう変化だと思うんだよなぁ。

自分は「声の通り」という意味でもよろしくないので、その点だけでも改善したいっちゃしたいんだけど。でも面倒なので、おそらく一生そういったトレーニング的なことはやらないだろう。

しかしね、自分のやりたいことって考えてみると、声を使う必要があるものが多いんです。配信もそうだし。

昔、字幕配信(マイクのかわりに文字を打って発言しながら配信するやつ)をやったりもしてたんだけど、あれもまたなかなか面倒なのだ。

 

あと思いつく理由として、これは「配信をする」っていうことに関しての話だけど、

配信を見ながらだらだらするのが最高に好きなので、そうすると自分が配信できない。

常に誰かの配信を見ていることが多いので、また、見たい配信っていうのがめちゃくちゃあるので、タイミングがないんだよなぁ。Twitch(配信サイト)でやっている人であれば、アーカイブを見ることで、後から配信を見ることも可能なんだけど、でもやっぱり見れるならリアルタイムで見たいんだよなぁ。配信は。

今の時代誰でも手軽に配信できるようになったから、無限に配信をしている人はいるので、そうすると面白いことしてる人も増えている時代なわけで、つまり最初にこの記事で書いた状態になるわけだ。

 

こうまとめてみると、やっぱり思い立ったらすぐ行動ってのを心がけてみたほうがいいな。ネットを使えば手軽にできる時代なんだし。