雑多 10/14

今の時代、インターネッツのおかげで、面白いことをしている人を簡単に発見できるわけですが、そのように自分が面白いと思うものを追っかけていると、それで一日が終わるなぁ。

多分そのまんま一日、また一日と終わっていって、一生が終わるんだろうなと考えるこの頃である。

そうやって一生自分が面白いと思えるものを見ながら死んでいけるなら、それはそれで幸せなことなので、そのことに何か問題があるわけではない。ネットがある時代に生まれて良かったなーって感じ。

 

でも、たまーに、本当にたまーにではあるけど、自分からも何かアクションを起こしたいなと思う時もあるわけです。見てるだけじゃなくて。

つってもそんな大袈裟なものじゃなくて、ゲーム配信したいなぁとか、ちょっと面白いかもと思えるネタが浮かんだら、動画サイトにそれを投稿したいなぁとか、そんな程度のことなんだけど。

 

なんだろう、自己承認欲求を満たしたいとか、そういう話になるんだろうか。

あまりにも生産的なこととは無縁な生活を送っていて、これでいいのかなという不安感もあるし、何かしらアウトプットすることからあまりに離れすぎていると、自分の伝えたいことを表現する力が全く育っていかないので、それに対する不安感みたいなものもあったりする。

 

しかしいろいろな理由によって、実行に移せないまま日々過ごしているわけです。自分の考えの整理のために、その理由を書いていこうと思う。

 

まず、「すぐ面倒になっちゃう」っていうのがもう7~8割の理由なので、それで話が終わっちゃうとこもあるんですけども。

とにかく、面倒くさがり。ひどい。行動力がガチでない。数値で言うと2か3くらい。

どれくらい面倒くさがりかというと、もはやこの文章を書くのを放棄して眠りにつきたいほどには面倒くさがり。

なので、やろうやろうと思いつつ踏ん切りが付かないまま時間が過ぎていき、いつの間にかやる気もなくなり、どうでもよくなっているという流れを、1億と3回くらい繰り返している。

 

あと、自分の声があまり好きではないというのも結構大きな理由で、なんというか、「声を使った活動」っていうのには向いてない声質だなぁと常々思っている。

自分の声ってそんなに聞く機会ないので、最初は誰でも普段自分の耳に届いてる声と全然違うことに戸惑うものではあると思うんだけど、自分の声を聞くことに慣れて、改めて冷静に聞いていて、それでやっぱり残念な声だなぁと痛感してしまう。

いい声ってどんなものかというのは一概には言いづらいけど、

明瞭で聞き取りやすかったり、深みがあったり、ずっと聞いていられると思える声だったり、笑い声につられてしまうようなユニークさだったり、

まぁちょっと今考えてみてもパッと出てこないんですけども。

とにかく、自分の声に関しては残念だなぁと思っているわけです。

声って、ほぼ生まれ持ってのもので決定してしまうので、それはもうどうしようもないことなんで、しょうがないと思うしかない。

多少、ボイストレーニングしたり、声を出す仕事してたりで、変わってくる部分もあるとは思うが、それは「声の通りがよくなる」とかそういう変化だと思うんだよなぁ。

自分は「声の通り」という意味でもよろしくないので、その点だけでも改善したいっちゃしたいんだけど。でも面倒なので、おそらく一生そういったトレーニング的なことはやらないだろう。

しかしね、自分のやりたいことって考えてみると、声を使う必要があるものが多いんです。配信もそうだし。

昔、字幕配信(マイクのかわりに文字を打って発言しながら配信するやつ)をやったりもしてたんだけど、あれもまたなかなか面倒なのだ。

 

あと思いつく理由として、これは「配信をする」っていうことに関しての話だけど、

配信を見ながらだらだらするのが最高に好きなので、そうすると自分が配信できない。

常に誰かの配信を見ていることが多いので、また、見たい配信っていうのがめちゃくちゃあるので、タイミングがないんだよなぁ。Twitch(配信サイト)でやっている人であれば、アーカイブを見ることで、後から配信を見ることも可能なんだけど、でもやっぱり見れるならリアルタイムで見たいんだよなぁ。配信は。

今の時代誰でも手軽に配信できるようになったから、無限に配信をしている人はいるので、そうすると面白いことしてる人も増えている時代なわけで、つまり最初にこの記事で書いた状態になるわけだ。

 

こうまとめてみると、やっぱり思い立ったらすぐ行動ってのを心がけてみたほうがいいな。ネットを使えば手軽にできる時代なんだし。